糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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多田久也のコンサート放浪記

(7)2013年サイトウキネン・フェステイバル

(演奏者の敬称は省略します)



8月18日
「小澤先生、お疲れ様です」「地元の方ですか」「はい。23日のオペラ初日を楽しみにしています」「ゲネプロも順調にいっていますよ。ぜひ期待してください」小澤監督から力強いお言葉をいただいた。そして、激励の握手。夜9時過ぎ、N夫妻とたまたまBホテルのロビーを通りかかったら、奥さんと娘さんを連れた小澤監督とばったり遭遇したのである。オペラの練習が終わって車を取りに来たらしい。小澤監督とお話をしたことがない私達にとって、とても幸運なタイミングであり、今年のサイトウキネン・フェステイバルの最高の幕開けとなった。


8月21日  ふれあいコンサート Ⅰ(ザ・ハーモニーホール)
 以前は交響曲一辺倒だったが、このごろは室内楽もよく聴くようになった。実は、室内楽は老後の楽しみとして、50になるまである程度封印していたのである。毎年、ふれあいコンサートは大変楽しみにしている。今井信子を中心としたミケランジェロ弦楽四重奏団の演奏会で、前半はハイドンの弦楽四重奏曲第78番(日の出)とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番である。ハイドンのエルデーテイ四重奏曲集は、以前「レコード芸術」の読者欄で名曲ぞろいと紹介されていたので、カルミナ四重奏団のCDをよく聴いていた。その中の「日の出」は好きな曲である。実演はCDとかくも異なるものかと、瞠目する。各楽器の音が調和していながら、個々の音が別々に鮮明に聴こえてくる。1つの音も聴き逃すまいと神経を集中すると、演奏者の気迫と一体化する。眼の奥がジーンとして、幸福感に満たされる時がやってくる。次のショスタコーヴィチは難解である。私はプロコフィエフとは生涯絶交しても構わないが、ショスタコちゃんとは気分次第では交際しても良いと思っている。交響曲第4番や第5番などはときどきCDで聴いたりもするし、こういう不協和音の音楽も面白いと感じる。演奏がはじまってすぐ、今井信子の弦がバチンと切れてしまった。演奏が止まり、この大きなハプニングに聴衆は息をのんだ。しかし、今井信子はあわてる様子は全く見せず、むしろ少し微笑みを浮かべながら退場し、数分後に別のヴィオラを持って登場した。そして、何事もなかったように、最初から演奏が再開された。さすが、ヴィオラの世界第一人者には悠揚迫らざる貫録というものがある。
 休憩時間、2階のロビーをぶらぶらしていると、地元新聞社の若い女性にインタヴューされた。いろいろ聞かれるまま、まじめに答えたところ、最後に名前、年齢、住所、職業を聞かれたので、明日の新聞に出ると思った。「ウィーン在住の音楽評論家です」記者にはすぐに嘘だとばれたが、年齢を1つごまかしたことは誰にもばれないだろう。
 後半はシューベルトの弦楽五重奏曲。チェロの原田禎夫が特別参加し、五人の中央にデンと構える。第2楽章、彼の弦をはじくボーンボーンという美しい音色が私の胸の中で強く強く切なく響く。この瞬間を、私は生涯忘れることはないだろう。


8月23日  オペラ(まつもと芸術館)
 昨夜から緊張気味で睡眠不足だ。オペラのせいではない。天皇皇后両陛下が松本にいらっしゃるからである。Bホテルにお泊りになるはずだ。一途な愛国・保守派の私としては、是が非でもお目にかからねばならない。ホテルに間者を放って動向を探ってもらったが、スケジュールは極秘事項とされていた。しかし、直前になって判明した。シメタ。警察が医院に来て、両陛下の車がお通りになる前後の10分間は外出禁止だという。両陛下ご到着の40分前からVホテルのロビーに忍び込み、不審者と見られないように宿泊者を装った。眼光鋭いSPが5、6人散らばって立っている。そこへ市長がお出ましになった。「市長さん、私もお迎えの末席に加えてください」とんでもない直訴に驚愕した市長、眼を大きく見開き絶句していたが、「でも、お迎えは私と議長に決まっているらしいですよ」と呻きながら後ずさりした。10分前になるとロビー全体があわただしくなってきた。ホテルの関係者が入口に一列に整列し、両陛下のお車が到着した。皇后陛下、天皇陛下の順にお降りになられ、市長のあいさつを受けたあと、沿道の国民に手を振って答えられた。私は、ロビー中央の最前列に立っていた。ホテルのロビーはシーンと静まり返った。両陛下が入口から私の方へまっすぐに歩いてこられた。私の背骨は硬直し、呼吸が止まった。笑みを浮かべた両陛下は私の正面1メートルのところで立ち止まられた。私は天皇陛下の崇高なお姿に、2600年も続く日本の歴史の重みと伝統のすばらしさを感じ、畏敬の念で、何度も何度も深くお辞儀をするばかりであった。
 オペラ初日。小澤征爾が久しぶりに登場し、天皇皇后両陛下が21年ぶりにご鑑賞されるという、いわば歴史的な演奏会である。私は新調した水色のブレザーに薄い紫の蝶ネクタイでおめかしをした。こういう特別なコンサートに行く途中のわくわくした気持ちは、ちょっと類のない贅沢なものだ。まつもと市民芸術館は超満員。今日は普段の演奏会とは違うぞ、という雰囲気が会場全体に漂っている。2階左方には多くの報道カメラマン集まっていて、会場内は両陛下のご来場が今か今かと異様にざわめく。カメラのフラッシュがいっせいにパチパチすると、全員総立ちとなり大拍手で両陛下を2階正面席にお迎えした。高揚感はただごとではない。そして、小澤征爾が登場すると、場内にウオーという歓声が沸き起こった。私はもうこれだけで大感激である。これで終わりでもよいぐらいだ。
 はじめに、ヴァイオリニストの潮田益子の死を悼み、モーツアルトのデイヴェルテイメント K 136 第2楽章が演奏された。サイトウキネン・オーケストラが最も得意とする曲である。これまで聴いたことがないぐらいゆっくりしたテンポだ 。これほどしみじみと深く悲しく心のこもった響きのモーツアルトを、私は知らない。哀悼の意というものが音という形で表れることがあるとすれば、まさにこの演奏はそうであるに違いなく、小澤監督をはじめすべてのメンバーの想いが聴衆にひしひしと伝わってくるようだった。第一回のサイトウキネンから何回も参加された潮田益子の姿を、私は幾度も思いおこしていた。
 最初のオペラは小澤征爾指揮、ラヴェルの「こどもと魔法」。主役のイザヴェル・レナードは容姿、歌唱力、演技は申しぶんない。演出も手がこんでいて美しくメルヘンチックで、竹澤恭子をコンサートマスターに迎えたオーケストラも世界最高レベルである。しかも、小澤征爾指揮であるから、このオペラは最高峰といっても過言ではない。もちろん私は初めて聴くオペラである。内容はファンタジーであるから、それぞれの場面を愉快に楽しく鑑賞した。しかし、正直な気持ちを告白しよう。こういうオペラは他の指揮者がやっても大体同じようなものなのではないだろうか。小澤征爾の良さがよくわからない点がつまらない。勉強不足と言われればそれまでだが、このオペラは予習したい気もおきない。サイトウキネンにおけるオペラ選曲の方針は十分承知しているが、私はこの期に及んでも主張したい。初心者でも楽しめる有名なオペラもときどきやってください、と。ワーグナーもヴェルデイもモーツアルトもたまにはいいではないですか。このオーケストラと小澤征爾指揮だったらどんなにすばらしいオペラになることだろう。 
 後半は「スペインの時」、指揮はステファヌ・ドウネーヴ。彼が現れた時、妻と一緒に大笑いしてしまった。数日前に街なかで彼と会っているのである。時計博物館の一階にあるレストランを通りかかったとき、自転車にまたがっている髪の毛もじゃもじゃの大男が、「ここはおいしいよ。あなたの首に巻いている手拭、いかすね」とウインクして去っていった。レストランの人のはなしでは、サイトウキネンのチェロ奏者らしいよというので、チェロ奏者に彼がいるかどうかをずっと探していたのである。「おかしいね。あんな大男のチェリストはいないね」と話しあっていた。いないわけだ。指揮者だったのだ。この小作品も良くできていて、楽しいオペラであった。配役はすべて「こどもと魔法」に出演した歌手であるが、いずれの役もそのイメージにぴったりの容姿であったのには感心した。色っぽい時計屋の女房が、「こどもの魔法」の主役を歌ったイザヴェル・レナードだったとは、最後まで気がつかなかった。


8月24日
 天候陛下がお帰りになる日である。ホテルのロビーに侵入し、いつもの場所に立つこと、これで3回目。今日は正装してきた。両陛下がにこやかにお出ましになり、私の身は硬直し、呼吸が止まった。奇跡が起こった。「音楽関係の方ですか?」天皇陛下からお言葉をいただいたのである。私の心臓は止まった。かろうじて一瞬蘇生し、「いいえ違います。この近くで働いているものですが、陛下のお見送りに参りました」「ありがとう」 私の隣に、昨夜の主役イザヴェル・レナードがいて、皇后陛下が英語で「昨日のすばらしい歌を覚えていますよ」と話しかけられたが、彼女は緊張のあまり何も返事ができず、身をこわばらせているばかりであった。


8月27日  ふれあいコンサートⅡ(ザ・ハーモニーホール)
 モーツアルトのピアノ三重奏曲第3番と、ドビュッシーのフルート、ヴィオラとハープのためのソナタの2曲が前半のプログラム。モーツアルトの演奏は見事であった。ヴァイオリンの渡辺實和子、チェロの原田禎夫、ピアノの野平一郎、いずれも大ベテランの方々だ。3人とも余裕しゃくしゃくで、お互いの音をしっかり聴きながら演奏している様子がわかる。音色が上質なうえにバランスが良くとれていて心地よい。なによりも演奏者自身が楽しんでいるのが良いと思う。次のドビュッシーは私にはよくわかりませんなあ。しかし、フルート、ヴィオラ、ハープの組み合わせは珍しく、新鮮に聴こえる。休憩になると、さっき演奏していたハープの吉野直子が私服に着替えて客席にいたり、ハンサムフルート奏者のセバスチャン・ジャコーがロビーで女の子といちゃついていたりする。あれ、あそこでは指揮者のステファヌ・ドウネーヴが大笑いをしていて、あっちにはニヒルなオペラ演出家のロラン・ペリーが、というふうに、音楽家がお互いの演奏を聴きあって楽しんでいるようだ。著名な音楽家が身近に感じられ、名実ともにふれあいコンサートになっている。後半はドヴォルザークのピアノ五重奏曲。聴いたことがない曲は予習しておくことが多いが、この曲もそうである。こういう場合は必ず、クラシックレコード専門店の“クレモナ”に行き、店主の金森氏にCDを選んでもらうのである。初めて聴く曲や、すでに聴き飽きた曲よりも、聴きかじって少し旋律を覚え始めたぐらいの曲をライブで体験するのが最も楽しみ深いような気がする。


8月30日  ふれあいコンサートⅢ(ザ・ハーモニーホール)
 モーツアルトのアダージョとロンド、カーターのフルートとチェロのための「魔法をかけられたプレリュード」、ラヴェル(C. サルツエード編曲)のソナチネ、モーツアルトのセレナード第11番。今日の主役は、フルートのジャック・ズーンである。彼のフルートは凄い。何が凄いかというと、巨大な唇から生み出される厚みのある強い音だ。銀髪の長身の独特の風貌がかもし出す押しの強さも強烈な印象をうける。しみじみと胸の中に忍び込んでくる音色というよりも、直接的に胸を震わせるといったような響きである。私は特に、ズーンが高らかにメロデイを歌いあげるときの響きが好きだ。ズーンはこのところ毎年オーケストラコンサートに参加しており、素晴らしい音色で他の楽器のメンバーを圧倒していた。ズーンはクラウデイオ・アバドのルツェルン音楽祭でも常連になっている。そのズーンのフルートを室内楽でじっくりと聴けたのは幸運であった。


9月3日  オーケストラコンサート キッセイ文化ホール(松本文化会館)
 フェステイバルのクライマックスはオーケストラコンサートだと私は思っている。今日は待ちに待った大野和士の登場だ。大野和士はいまや日本人指揮者の中では第一人者で、世界では小澤に次ぐ知名度がある。国内での人気も抜群である。私は彼の演奏に接っする機会がなかったので、期待感でいっぱいだ。しかしである。この空席の多さはどうしたことだろう。松本では大野の認知度が低いためなのか、選曲が悪かったせいなのか、よくわからない。小澤征爾出演の演奏会が満席なるのは、「何が何でも小澤」とか、「どうせ聴くなら小澤の指揮で」という熱烈なファンが殺到するからだろう。なかには「クラシック音楽はあまり聴かないが、小澤の指揮する姿を一度でいいから見てみたい」というような人も少なくないだろう。別にこれが悪いと言っているわけではない。私も、小澤のチケットを取るために、キッセイ文化ホールのチケット売場に、発売3日前から並んだのである。今日の演奏会は満席ではないものの、本当に大野和士に期待している人が多いのではないかと推測される。さて、オープニングはモーツアルトの交響曲第33番である。大野らしいオーソドックスで1つ1つの音を大切にしたと思われる丁寧な演奏である。悪く言えば安全運転すぎるが、彼のまじめで誠実な人柄がそのまま表れているような、そんな感じが伝わってきて好ましい。しかし、言っておきますけど、この曲はわがカルロス・クライバーが得意とした曲なのね。流麗で甘美で優雅なクライバーの33番を凌ぐものはこの世にあり得ないのね。サイトウキネン・オーケストラの立派な演奏をもってしても、私には音楽が停滞してまどろっこしく聴こえてしまうのである。昨年のダニエル・ハーデイングによるシューベルト交響曲第3番もそうであった。クライバーの数少ないレパートリー曲を選んでしまったのでは、私のような多くのクライバーマニアからはきびしい評価しかうけないだろう。次のリゲテイのフルート、オーボエと管弦楽のための二重奏曲(日本初演)は心地よい音楽とはいえなかった。せっかく、ジャック・ズーンが登場したのに、あの美しいフルートらしい音が一切聞こえてこない。現代音楽らしいピーヒャラとかキキーという高音で耳障りな音が中心である。しかし、日本の聴衆は忍耐強く寛大で心優しいのだ。おそらく音楽には感動していないのに、このややこしい曲を一生懸命演奏したその努力を誉めたたえたのだろう、予想外の盛大な拍手が沸き起こった。ズーンはこれでは収まらない。オーボエのフィリップ・トーンドウルと2人できれいなアンコール曲をやってくれたおかげで、われわれの欲求不満は解消された。
 今日のメインはR. シュトラウスの交響詩「ツアラトウストラはかく語りき」。舞台があふれんばかりの大編成のオーケストラである。かの有名な序章は、CDに比べると予想外の大迫力だった。この序章の最後の一音が、意表をついて、最弱音からら始まった所には大野和士の工夫が感じられた。ウィーンフィルのトロンボーン奏者ヨハン・ストレッカーは、このオーケストラコンサートのこの曲のためだけに来日した。なるほど、トロンボーンをはじめとする管楽器群は大活躍であった。彼は、昨日突然私の診療所を訪ねてきた。今回の滞在は短く、いっしょに食事する時間がないという。23日の演奏会のあとすぐに松本を発ち、24日の成田発のフライトでウィーンに帰り、その翌日にはロンドンへ出発するらしい。「ところで、大野和士はどう?」「うーん、彼は征爾みたいじゃないからねえ」「どういうこと?」「熱心に真摯に取り組んでいるけど、音楽的には少々退屈だね」カラヤン、バースタイン、クライバーを目の当たりにしてきた彼の評価であるから、ある意味では重く受け取らなくてはいけない。今後の予定を聞くと、しばらくは松本に来る予定はないので、次はウィーンで会おうと約束して帰っていった。さて、ツアラトウストラは期待通り、細部にわたり丁寧に演奏され、十分な盛り上がりを見せて終演となった。この曲は誰がやってもそれほど代わり映えしないと思われるが、メンバー一人一人の凄みがホールに満ち溢れ、聴衆もそれに引き込まれて集中力が高まり、演奏者と聴衆が一体化するという現象は例年のサイトウキネンと同様であった。
 私の2013年サイトウキネンは終わった。終演後、N夫妻と女鳥羽川沿いの料理屋Fで私達だけの打ち上げ会をやった。魚料理が評判のこの店の刺身はすばらしく、大好きな鯛のかぶと煮も美味しかった。酔って外に出ると、真っ黒な夜空にいくつかの星がばら撒かれたように置かれていて、川から吹きわたってくる微風には、すでに秋の匂いがわずかに含まれていた。

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