糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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おおっ トスカよ!

第5回
×月×日
 ホテルのすぐそばにショッテントーアというトラムの駅がある。「よし、今日はトラムに乗るぞー」「よし、乗ってみよー」2人とも気分はのりのりで、タバコ屋で24時間券を買い込んで、反時計回りのトラムに飛び乗った。トラムは1周20分ぐらいで、グルグル回っているというはなしだ。こんな安心なことはない。2周ぐらい回るつもりで、カメラを片手に上機嫌である。と、トラムが急に右に曲がった、ような気がした。様子を見ていると、徐々に人通りがまばらになり、道が狭くなってきた。「おい、ちょっと変だぞ」「なにが?」「ここはどうみても大通りには見えないぞ」「あっ、ほんとだ」今ごろ気づくやつも珍しい。すぐさま降りて、逆方向に乗り換えた。これもどこへ向かっているのかがわからない。離れたところに立っていた気のよさそうな青年が真向かいの席にやってきて、「Can I help you? どこへ行きたいですか?」となまった英語で話しかけてきた。わたしが地図を睨んでよほど困った顔をしていたのであろう。「どこへ行きたいかって。自分でもわからないよ。どこに行ったらいいと思う?」「アハハハハッ」この若者、ウイーン大学へ通学中だという。「実はグルグル回るつもりだったが、なぜか変なところに来てしまった」「グルグル回るのは一年前に廃止になりました」「おい、早く言ってくれよ」この青年に怒ってみてもはじまらない。「じゃあとりあえず、美術館にしようかな。どう行ったらいいですか?」「えーと、えーと…」この人maybeを連発している。「こりゃあ、ダメだ」
 ウイーン美術館は巨大なので、まじめに見たら2、3日でも終わらない。見るのは、はじめから2階の絵画だけに絞っていた。ドクターKノートに書いてあるとおり、まず、フェルメールの絵のある場所を係員に尋ねた。奥の奥へと分け入っていって、はいこれです、と案内してくれた。自分で発見するのは不可能だろう。有名なフェルメールの絵はただこの一点のみ。写真撮影厳禁だが、隠れ撮りが得意のわが娘にかかったらひとたまりもない。広い部屋にはルーベンスやブリューゲルの巨大画が無数に、無造作に掛けてある。これはすごい。しかも、時間的にも空間的にもその絵を自分で独占できるのだ。この絵画のうち1点でも東京に来れば大変な騒ぎになるであろうと想像すると、美術音痴のわたしでもつい足が止まってしまう。昼食は、円形に設えた美術館中央のカフェへ。天井が見えないほど高く、壁や床やテーブルが大理石でできているこの空間は一種の大きな展示物であるかのようだ。そこに座った我々も展示物になってしまった。昨日たまたま入ったゲルストナーカフェの支店だそうな。いつものようにウインナーソーセージ(ゲルストナーソーセージと書いてあった)、ハムサンド、モッツアレラチーズサラダ、Zipherビール2杯。「昼からたくさん飲めていいねー」「ああ、旅行中は特別さ。叱る人はもういないしな」
 3時、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のトロンボーン奏者Johann Serecker氏とムジークフェライン(楽友協会)の前で待ち合わせをしている。この人、ドクターKの知人である。ドクターKに「ぜひ彼に会って来なさい」といわれたので、昨日彼の家に電話をして約束したのである。ドクターKが言っていたように、なるほど一見シルベスター・スタローンを優しくしたようないい風貌だ。50歳ぐらいだと思うが、若い奥さんと4ヶ月の赤ちゃんを連れてきた。奥さんはウイーン交響楽団のチェロ奏者だという。「実は今日仕事があるのです。もしよかったら、われわれの仕事を見ていきませんか」という。へーえ、仕事ねえ。なんだろうなあ。他人の仕事を見ても仕方がないが、まあ暇だから見ていこうかな。中に案内され専用エレベーターに乗る。「今晩はトスカを観るんですよ」「私はトスカにはでません。あさってのマーラー5番で吹きますよ」「それは残念だ。娘は学生オーケストラでフルートをやっています」「そうですか。ちょうどよい。こいつ(乗り合わせた人)がフルートの主席奏者ですよ。覚えておくとよい」「はじめまして。日本から来ました」「ようこそ。来月、東京でリサイタルをやりますよ」後で調べたらワルター・アウアー氏で有名な人だった。テレビのニューイヤーコンサートで見慣れたホールに案内され、お好きな席にどうぞ、と言う。ホールには関係者のような人がまばらに座っているだけだ。テレビではよくわからないが、実際に入ってみると全体が荘厳な黄金色に輝いている。やはり“黄金のホール”といわれるだけのことはある。ステージではオーケストラがめいめい、音あわせをやっている。ああ、そうか。仕事って、プローベ(リハーサル)なんだ。ウイーンフィルだもんなあ。なんだかどきどきしてきた。全員が集まったところで指揮者が普段着で現れた。ダニエレ・ガッテイーだ。いきなりマーラー5番の終楽章をやり始めた。あまりの興奮に身体がぶるぶる震えてきて息をするのを忘れた。世界一の音響効果のホールといわれ、それほど大きくないホールのこととて、マーラー5番の大音響はすさまじく、身も心も音楽と共鳴している錯覚に襲われた。それにしても驚いたのは、このガッテイーという指揮者、あの誇り高きウイーンフィルの演奏を頻回に止めてやり直しをさせる。同じところを何度もやらせる。ホルンの主席などには10回も同じフレーズをやり直しさせ、「よし、そうだ。OK」といって座らせた。オーケストラを絞り上げるタイプらしい。あっという間の2時間であった。すると、隣の席から大きなため息が漏れた。呼吸するのを忘れていたヤツがもう一人いた。「こんなすごい体験ができるとは思わなかったよー」「ウイーンフィルの定期演奏会を聴けるチャンスはあるかもしれないが、ウイーンフィルのリハーサルは生涯2度と見られないぜ」「本当に興奮したねー」「ドクターKに感謝だ」さあ、次は待望のオペラだ。その前に腹ごしらえをしておかねばならぬ。連日肉料理だったので、今日は天満屋という寿司屋でキリンビールを飲むことにしている。
 夢のStaatsoper(国立オペラ座)にやってまいりました。ファビオ・ルイージ指揮の“トスカ”(プッチーニ作曲)だ。ちなみに、ウイーンフィルの本業はこのオペラ座の演奏であって、コンサートはその合間にやる仕事にすぎない。この人類の歴史的な文化遺産は円筒状のホールで6階まである。うわー、すげえなー。わたしたちの席は4階正面の最前列で決して悪い席ではないが、高い所が苦手な2人にはちょいと怖い。さあ、はじまるぞ。息をつめてルイージの登場を待った。あれっ、長身のスリムな女性が颯爽と現れ指揮台に立ったぞ。おかしいな。音合わせの練習でもするのかな、と思っていたら、すぐに始めてしまった。ルイージは土壇場でキャンセルしたのだ。意外な展開に戸惑ったがもう仕方がない。ルイージはテレビで何度か聴いたことがあるし、どうせ、5月末サントリーホールでのルイージ指揮ウイーン交響楽団の演奏会に行くことにしているんだもんねー、だ。
 第1幕、2幕、3幕の3時間以上の公演。わたしにはすぐ終わってしまったような感じがした。これまでトスカなんて聴いたこともなかったから、CDを買って2週間前から予習していたのである。本番では字幕も出ないし(席に付いている小さな画面にドイツ語がでるが)、全く知らない作品を実演で聴くほどつまらないことはないからである。CDと実演がかくも異なるものかと瞠目せざるを得ない。テノールのニール・フェフが特によかった。わたしが持っているCDのホセ・カレーラスよりもはるかにいい。ああ、満足だった。わたしの心に秘めていたいくつかの夢の1つが実現した瞬間である。ちなみに、神様が3つだけ、どんな不可能な願いでもかなえてあげようといわれたら。そのうちの2つは秘密だが、残りのひとつは、この場所で故カルロス・クライバーの“ばらの騎士”“椿姫”“こうもり”を聴くことなのである。
 余談。本当は昨日の公演“カルメン”を観たかった。しかし、指揮者も歌手陣も人気絶頂のため、チケット入手は不可能(困難ではなく)と言われた。ところがである。指揮者のヤンソンスも期待されたガランチャという歌手も風邪でダウンし、代役がやったらしい。何時間も並んでチケットを手に入れた人々は本当にショックだったらしい。その気持ち、よくわかる。
 夜、ホテルに帰って、日本から持ってきたカップラーメンを食べた。外国で食べるカップめんは格別うまいんだな。

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