糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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くろべえ物語

第1話 僕の葬式
 僕の名前はくろべえ。指の先まで全身真っ黒の雄猫である。僕の命日は2008年5月20日、庭のすずらんが満開になりもうすぐ5歳の誕生日を迎える数日前のことであった。僕は長い間病に伏せており、一週間前から足腰が立たなくなっていた。とうちゃん(僕の飼い主でこの家のあるじ)とかあちゃん(とうちゃんの妻)はよく看病してくれたが、もう長くはないなと自分で感じていた。ちょうどその日は朝から吐き気が続いていて苦しんでいたが、かあちゃんが僕の好きなモーツアルトのフルート協奏曲のCDをかけてくれたので、幾分心が安らいだ。数日前から、洗面所に置かれた籠の中の毛布に横になっていることがほとんどだったが、夜9時ごろ、急に吐き気が強くなり籠からやっとのことで這い出してきた。そして変な姿勢で胃液を吐いたとたん、急に息が苦しくなって、だんだん気が遠くなっていった。「おい、くろべえ!しっかりしろ、しっかり息をしろ!」「くろべえ、がんばれ!」という叫び声が遠くの方から聞こえてきた。とうちゃんとかあちゃんがそばにいてくれるのだな、と二人の顔を思い浮かべながら安心して眠りについたような気がする。そして、どれだけ眠ったのか分からない。ハッと気がつくと、身体がやけに軽くなって、息の苦しさも、吐き気も、だるさもすべて消え去っていた。下の方を見てみると、とうちゃんとかあちゃんが、横になってのびている僕の身体にすがりつき、「長い間苦しかったなあ、楽になれてよかったなあ」「本当にかわいそうに」と言って涙にくれているのであった。僕は2人を見下ろすようなところでフワフワと宙に浮いたような極めて頼りない感覚に酔いながら、ああ、僕は今死んでしまったのかと、そのときはじめて悟ったのである。とうちゃんは涙と鼻水を拭った手で僕の身体を撫でようとしていたので、「おい、とうちゃん、汚いじゃないか」と叫んだが、僕の声は全く聞こえないようだった。2人は僕の眼や口や体を丹念に拭いてきれいにし、ふかふかの新しい毛布に横たえてくれた。そして、いつまでも僕の身体を撫で回しながら悲嘆にくれている2人を、僕は一種無抵抗な呆然とした気持ちで見つめていた。
 このようにして僕は死んでしまったのだが、今は天国と我が家を自由に行き来することができる不思議な身分である。どのようにして天国にたどり着いたかとか、天国の様子はどうかなどということは極秘事項なので、ここで語ることはできない。ただし、僕が幼少の頃にずいぶんかわいがってくれたミャアおじさんやテイビおじさん、夭折した弟の千代丸たちと天国で再会できたことだけは伝えておきたい。少し心残りだったことは、臨終のさいに、僕を一番かわいがってくれた、盛岡の大学にいるねえちゃん(この家の長女)に会えなかったことだ。
 葬儀は5月23日、庭のシランがちょうど咲き始めた暑い日であった。それまでの2日間、遺骸は子供のときによく遊んだダンボール箱に入り、とうちゃんの書斎に安置さ   れていた。とうちゃんとかあちゃんは、たびたびべつべつに遺骸のところにいって、顔や胸を撫でたり尻尾を引っ張りながら、なにかボソボソとつぶやくように話しかけている様子だった。とうちゃんはそこを通りがかるたびに、生前いつもそうしていたように、「おい、くろべえ」「おい、べえ」「べえ公!」と3種類の違う言い方で呼びかけていたようだ。生前はとうちゃんのこの呼びかけを1日に何十回となく聞いたものだが、これほど悲痛な響きを帯びた声ははじめてである。2日間身体を撫で続けられたせいか、黒い毛はいつものようにビロードの如く艶々と輝いていたし、自慢の長く細い尻尾も一段と様子がいい状態だった。遺骸が収まっている箱には、僕の常食だったカリカリと、庭に生えている好物の細い葉っぱ、遊び仲間の青いねずみ人形、それに都忘れという小さい花たばが置かれ、火葬場に連れていかれた。興味があったので、僕もとうちゃんの肩の上に載って付いて行った。火葬する台の上に箱ごと載せられ、最後のお別れのとき、とうちゃんとかあちゃんはハンカチで目頭を押さえながら、「おい、べえ公!じゃあな」「じゃあね、くろべえ」と言ったので、僕もそれにつられて「じゃあな」と呟いた。係の若い男性は、死んだ猫にいつまでもめそめそしている中年夫婦をあざ笑うどころか、実に暗い眼の色をして懇切丁寧に応対してくれるのであった。一時間後、お骨はとうちゃんが拾って小さい骨壷に入れ、家に帰ってくると「くろべえ、お帰り」とかあちゃんが迎えてくれた。そして、骨壷はねえちゃんが夏休みに帰郷したさいに庭へ埋められることになり、それまではとうちゃんの部屋に置かれる予定であるそうな。
 今、僕は天国と家を行ったり来たりして、楽しく過ごしているわけだが、葬式が終わって数日経っても、2人の様子が少し変である。とうちゃんは相変わらず僕の骨壷に向かって「べえ公!」と悲痛な声で叫んだり、ときには虚空を見つめながら「くろべえ」と口の中で呟いたりしている。かあちゃんはときどき大きなため息をつき、悲しい目つきをして外をぼんやり眺めていたりする。さて、こうなると僕も考えなければいけないことがたくさんあるように思われてくるのである。僕は家族からこんなに深く愛されていたのだろうか。この5年の短かった猫人生を振り返ってみると、何か一つでも偉業を成し遂げたわけでもなく、家族や他の猫に一所懸命に尽して感謝されたわけでもない。むしろ、幼少の頃から病弱で、とくにとうちゃんには病院通いで、経済的にも迷惑をかけっぱなしであった。僕自身は何不自由なく、気ままに、のんびりと、好きなことだけを考えて、毎日無為に過ごしてきたように思う。しかし、僕の猫人生はどうやら幸福と呼んでもよさそうな気がする。おそらく、幸福というものはひどく平凡なことの中にあるのかもしれない。穏やかな心、しずかな眼、平穏な日々。これまで幸福というものを真剣に考えたことはないが、そう名付けていいようなものがあるとすると、さしずめこんなものではなかったかと思う。
 ここで、自分の生い立ちからこの世を去るまでの生活や心の動きなどを思いつくまま記してみて、幸福な猫人生を与えてくれた家族3人に感謝の心を捧げてみようと決心した。しかし、どのような経緯で僕がこの3人に巡り会うことになったのかは、実は僕の知るところではないのである。僕がこの家族の前に登場するまでの物語は僕自身興味のあるところであるから、第2話としてとうちゃんに語ってもらいたい。楽しみである。

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