糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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私が選んだ百人一首(一)

七 大伴旅人 (665~731)
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
(この我らの園に梅の花がしきりに降る。天から雪が流れ来るのであろうか、これは)
 天平二年(七三〇)正月一三日、太宰帥大伴旅人邸の梅園に山上憶良以下三十余名が集まり、梅花の宴を催した。宴席では三十七首の歌が詠まれた(万葉集八一五~八五二番歌)。これらの歌の序文の中に「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ」(折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる)という文があり、ここから令和という年号がとられたのである。
 選んだ歌は八二二番歌であるが、旅人が詠んだ次の八五二番歌も好きだ。
梅の花夢(いめ)に語らくみやびたる花と我(あ)れ思(も)ふ酒に浮かべこそ
(梅の花が夢の中でこう語った。「私は風雅な花だと自負しています。どうか酒の上に浮かべて下さい」と)   いつかそんな風流な花見の宴を催してみたいものだ。
 旅人は大伴家持の父。政府の役人、軍人として活躍。六十歳を過ぎてから太宰帥として筑紫へ赴任した。漢詩文に長けた教養人であり、山上憶良ととともに筑紫歌壇を形成した。筑紫赴任中に妻を喪っている。六十五歳の時、大納言となり帰京。奈良の自宅に帰ってきたときに詠んだのが次の歌だ。
人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり
(こうして今帰ってきたもののやっぱり、妻もいないがらんとした家は、旅の苦しさにましてなんとも無性にやるせない)

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