糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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私が選んだ百人一首(二)

十八 伊勢 (不詳)
思ひ川絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや
(思い川の絶えず流れる水―そこに浮かぶ泡のようにはかなく、あなたと逢わずして消えるなどということがあるでしょうか) “思い川”は、絶えず涙を流させる恋の思いを川になぞらえたもの。“流るる”は“泣かるる”との掛詞。“うたかた”は泡のことだが、“うたかた”(かりそめにも、の意)との掛詞である。詞書きによると、どこに出かけたとも知らせずにいた頃、付合いのあった男から「あなたを探しあぐねて、もう死んだかと思いました」と言ってきたのに対し答えた歌である。作風はかなり技巧的で、解説を読まないと十分には理解しがたい。しかし、自分を水の泡、しかも自分が流した思い川に浮かぶ儚い泡に例えていながら、終わりには自分の思いをきっぱりと言い切る強さは印象的だ。
 伊勢は美しさと才能を兼ね備えた女性で、宇多天皇后藤原温子に仕えた。温子の兄仲平と恋の遍歴後、宇多天皇の寵愛を受け行明親王を産んだが五歳で亡くなった。宇多天皇出家後、今度は天皇の皇子敦慶親王と結ばれ、女流歌人中務(本エッセイ第四十一番)を生む。このとき伊勢は敦慶親王より十歳以上年長だったという。よほど魅力的な女性だったのだろう。才能も優れており、この時代貫之と並び称される代表的な歌人であった。勅撰入集歌は一八五首にも及び、華やかな恋愛遍歴の中で生み出された秀歌が多い。
あいにあいて物思うころわが袖にやどる月さえぬるる顔なる
(よくもまあ合いにも合ってー物思いに耽っている時分の私の袖では、宿っている月さえ濡れた顔をしていることよ) 直接涙と言わず、月の顔から自分の泣き濡れた顔を暗示させるところが奥ゆかしい。
 恋の歌の他に、行明親王が亡くなった翌年詠った悲しみに溢れた歌、
しでの山越えて来つらむほととぎすこひしき人のうえかたらなむ
(死出の山を越えてやってきたのだろうか、ほととぎす。恋しい我が子があの世でどんなふうに暮らしているのかを語ってほしい) “しでの山”は冥土へ行く時に死者が越えるとされた山。ほととぎすは冥土からこの山を越えて飛んでくると考えられていた。 
小倉百人一首 難波潟みじかき葦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや

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