糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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私が選んだ百人一首(三)

二十一 大江千里 (生没年不詳)
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき
(くっきりと輝くこともなく、かと言ってすっかり雲に覆われてしまうわけでもない春の夜の朧月夜、これに匹敵する月夜などありはしない)
 「不明不暗朧々月」という漢詩を翻訳して和歌として詠んだものである。この歌は、源氏物語「花宴」の巻で朧月夜の君が登場する場面を思い出させる。谷崎潤一郎訳で一部を描出してみると、「二月二十日あまりに、南殿の桜の宴をお催しになります。・・・夜がたいそう更けてから宴は終わったのでした。・・・ひっそりしましたところへ、月が明るくさし昇った風情のおもしろさを、源氏の君は酔い心地に見過ごしがたくお思いになって、・・・やるせなげに忍んで窺い歩きまし…たが、・・・。と、たいそう若い美しい声の、並みの物とも覚えぬ人が“朧月夜に似るものぞなき”と口ずさみながらこちらへ来るではありませんか。」この人が敵方の大臣令嬢である朧月夜の君で、このちょっと不良な姫との恋が原因で源氏は須磨に隠遁することになるのである。第五句の「しくものぞなき」は、「句題和歌(大江千里集)」では「めでたかりける」、源氏物語では「似るものぞなき」となっている。
 大江千里は高名な漢学者大江音人の子。音人は阿保親王の子なので、行平・業平の異母兄。つまり、千里は行平・業平の甥に当たる。子孫には大江匡房(第六十六番)や鎌倉幕府の大江広元がいる。
 千里は学才誉れ高かったが、官人としては生涯を通じて不遇だった。しかし、宇多天皇の勅により「句題和歌(大江千里集)」を献上する大仕事を成し遂げた。このとき重い責任を感じて病気になるほど悩んだと言われている。小名木善行氏は、才能があるのに控えめで謙虚だったと彼の人柄に好意を寄せている。一方、「句題和歌」には自身の零落を嘆く歌が多く、「官途の思わしからぬことは詩歌の人をもこれほど嘆かせるものかと悲しくなる」と馬場あき子氏は述べている。そんな歌を一首、
おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しきものと思ひ知りぬれ
(誰の上にも来る秋が来ただけなのに、私の身の上にこそ誰にもまして悲しいことがわかった)
小倉百人一首 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

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