糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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私が選んだ百人一首(三)

二十五 藤原兼輔 (877~933)
人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどひぬるかな
(子を持つ親の心は闇というわけでもないが、子どものことになると道に迷ったように、どうすればよいか分からず混乱してしまうものですな)
 多くの人に愛唱されている有名な一首である。親の心をこれほど見事に表現した歌はないだろう。自分を振り返ってみて、そうではなかったと言い切れる自信のある人はいるだろうか。逆に、子どもの方が親を思う道にまどひぬる例を私は知らない。これもまた真理というべきであろうか。
 兼輔は中納言兼右衛門尉まで累進した。藤原定方は従兄で、定方の娘と結婚した。定方と兼輔は親交が深く贈答歌が多かった。二人とも紀貫之や凡河内躬恒などの文人の後援者的存在で、彼らの作家活動を支えた。藤岡忠美氏は「平安和歌史論」で、定方・兼輔グループは、藤原一門の中では浪漫的な色彩を帯びた一つの異例な小世界を形成していた、と指摘している。つまり、権力闘争は経基、時平、忠平などに任せておき、我らは勝手に勝ち負けなど関係のない文化的生活をするよ、ということであろう。
 掲出の歌は、詞書きによると、貞信公忠平が左大臣であった時、宮廷で行なわれた相撲の節会の後の宴会に兼輔が招かれ、子どもの話題になった際詠んだ歌である。醍醐天皇の女御に入った自分の娘のことが心配だったのだ。この歌は天皇の御心を深く動かしたようで、やがて章明親王がお生まれになっている。なお、相撲は奈良時代から始まり、平安朝では盛んに行なわれていたらしい。相撲の後の宴会というのは還饗(かへりあるじ)といって、勝った方の大将が自邸で味方に対し催す饗宴である。
 兼輔は紫式部の曾祖父にあたる。紫式部は曾祖父のことをかなり意識していたらしく、源氏物語の設定を兼輔が活躍した時代にしているほどだ。また、源氏物語の中で、「心の闇」といえば親心を意味するように書かれている。
小倉百人一首 みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ

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