糖尿病、生活習慣病の専門医院 松本市・多田内科医院

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私が選んだ百人一首(三)

二十九 坂上是則 (生没年不詳)
霧深き秋の野中の忘れ水絶えまがちなる頃にもあるかな
(霧が深く立ちこめた秋の野を流れる忘れ水のように、あなたとの仲も途絶えがちなこの頃であるよ)
 詞書きに「逢いてのち逢ひがたき女に」とあり、一度逢って親しくなった後、何らかの障害があって逢いにくくなった女姓に贈った歌である。第三句の“忘れ水”が重要なポイントになっている。”忘れ水“とは、人にその存在も忘れられた、とぎれとぎれに流れている水のこと。あまり聞き慣れない言葉だが、後の新古今和歌集の第六二八番に康資王母(やすすけのおうはは)(伊勢大輔の娘)が
 東路の道の冬草茂り合いて跡だに見えぬ忘れ水かな
(常陸国の方では道のほとりの冬枯れた草が茂り合い、人が訪れた跡さえ見えない野の中に忘れ水がひっそり流れています)と詠んでいる。ここでは“忘れ水”が都人に忘れられている自分を暗喩している。
坂上是則は、坂上田村麻呂の五代目の子孫である。田村麻呂は、平安初期に蝦夷討伐で活躍した征夷大将軍として有名。是則は武門の家に生まれたが、下級官士として仕えた。最後は加賀の地方長官に累進した。貫之や躬恒と並ぶ古今集時代の代表的歌人である。蹴鞠の名手としても有名だ。御所で催された蹴鞠の会で二〇六回連足で一つも落とさなかったのを、醍醐天皇が感激して、その褒美として立派な絹を御下賜になったという。
 心に感じるまま自然に流れ出たような、あまり技巧的でない平明な歌が多いが、かえってその方が風雅さを醸しだしているようだ。人柄までは伝わっていないが、歌風のイメージからすると、あくが強くない温厚な人だったような気がする。
小倉百人一首 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

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